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パクったか、パクられたか。 幽白パクリ検証

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 初めに私のスタンスをはっきりさせておきたいのだが―――私は、他の作品に影響を受けることは悪くはないと思っている。どんなに作り手にオリジナル精神が溢れようとも、作り手もまた他の作品の受け手であるので、何らかの影響を受けるのも無理はない。その上、雑誌媒体で作品を発表する為にはマーケティング向けの要素も必要なので、編集部からの指示を受けることもあるだろう。

 あだち充『タッチ』が国民的ヒットになった直後では、他の出版社でも「あだち充みたいな漫画を描いて」という編集者と作家のやり取りがあったという。時代の流れを見ても、鳥山明の後には鳥山明風の漫画が、大友克洋の後には大友克洋風の漫画がわんさか登場している。『マジンガー』後にはロボットに搭乗するアニメが増え、『ガンダム』後にはロボットが戦争に利用されるアニメが増えた。資本主義の中ではそれが当たり前のことだし、決して責められるものではない。

 『幽遊白書』自体も多くの作品に影響を与えたが、『幽遊白書』も多くの作品の影響を受けている。その中には“影響”の枠を越え、“パクリ”や“盗作”と呼ばれるものもある。言葉の定義を区別するのは非常に難しいのだが、私は―――元のネタを知っていても楽しめるのが“影響”で、楽しめないのが“パクリ”や“盗作”だと思っている。つまり、両者の違いは主観的なものでしかなく、どれが“パクリ”かなんかは貴方自身が判断するしかない。著作権や生産性や独自性を持ち出すこともなく、受け手である貴方がどう思うかが重要ではないだろうか(もちろん、貴方が作り手である場合は別だが)


 なので、これから書かれる文章はあくまで私の考えであって、たった一つの答えではない。好きな作品が“パクリである”“パクられている”と言われるのが嫌な人は読まないで欲しい。社会の黒い部分から目を逸らしても、生きていく上で不便はないし、その方が絶対に楽しい。

 クレームを受けるのが嫌なのではない。
 純真に作品を愉しんでいる貴方に黒いナニカを落としたくはないのだ。


 ――――以上のことを踏まえた上で、了承した方だけ読んで貰いたい。





 一般的に、冨樫先生はパクリ作家と呼ばれている。
 『幽遊白書』の場合、バトル描写(暗黒武術会編)は『ドラゴンボール』、超能力バトル(魔界の扉編)は『ジョジョ』のパクリだという意見が多いようだ。

 しかし、ちょっと待てと。それは冨樫義博という作家を理解していなさ過ぎだ。彼の作風はデビューの頃から『H×H』まで一貫して、世間の最大公約数である他作品をネタにしているのだ。「恋愛漫画ってこういうもんだろ」「バトル漫画ってこういうもんだろ」「冒険漫画ってこういうもんだろ」ということを前提にして、独自色を出すのが冨樫の味なのだ。
 最も健著に出ているのが『レベルE』―――一人暮らしを始めた主人公の下に記憶喪失の宇宙人が訪れて、共同生活が始まるというステレオタイプな設定。しかし、それをネタにしてギミックとトラップを駆使したミスリードを誘う計算された作品となっている。
 『幽遊白書』でも正太とジロの話なんかは『ドラえもん』が未来に帰るときの話だし、“パクリ”というよりは“パロディ”や“オマージュ”に近いものである。

 『ドラゴンボール』のパクリ疑惑も、トーナメントだけ見て“パクリ”と呼ぶのは短絡的すぎる。『ドラゴンボール』以前からジャンプではトーナメントものが編集部の意図で大量生産されているし、必殺技の概念も似たようなものである。『幽白』ではこの大量生産されていたトーナメントものへのお遊びが多く用意されている。対戦相手をサイコロで決めたり、2対5で戦ったり。
 トーナメントものの醍醐味は、Aというボス敵にBというキャラをぶつけることでAの強さを際立たせることである。『ドラゴンボール』で言えば、ジャッキー・チュンにクリリンをぶつけたり、マジュニアに神様をぶつけたりするようなものである。『スラムダンク』で言えば、綾南に海南をぶつけるようなものである。だが、『幽遊白書』ではこれを放棄している。主人公チームと対戦するチーム以外は瞬殺される運命で、引き立て役にすらならない。ある意味でトーナメントもののアンチテーゼを表現しているとも言える。


 バトルの構図などの“パクリ”があるなら確認後訂正しなくてはならない。だが、これらのことを考えると王道的バトル漫画の最終形態が『幽遊白書』なのだと言うことも出来る。擁護の余地は大いにあり、“パクリだ”の一言で終わらせるのは勿体無い。

 では、もう一つの疑惑 『ジョジョ』の方はどうだろうか??
 こちらに関しては“ネタにしている”のというよりも、“参考にしている”に留まっているように思える。言葉を悪くすれば、“パクり”の域を脱していない。
 1.射程範囲の概念がある
 2.先天的な要因以外で、後付けで能力に目覚める
 3.能力に名前がある
 4.単純な力比べ以外で勝負が決する
 5.相手の能力を探り合いながら戦う必要がある
 パッと思いつくのはこんなものだろうか。4と5に関しては、多くの超能力漫画が達成することすらできず荒木漫画と冨樫漫画の特権のようになっていることなので・・・・・・これを責めるのは筋違いだと思う。「こんなに熱いスポーツ漫画は『スラムダンク』のパクりだ!」と言うようなもんだ。
 個人的には1と2が問題なのかなぁと思う。“領域”という概念で独自色を強くしようとした割には昇華しきれず、「領域は体内!」「領域は不定形」などになってしまったのが残念だ。
 『ジョジョ』システム自体が非情に優れているため魔界の扉編も無類の面白さになった。また、『幽遊白書』をパクりとすれば、全ての超能力漫画が“パクっている”となってしまう。これも『ジョジョ』のスタンドバトルが突出し過ぎてしまった故か。




 私のスタンスとしては、『ドラゴンボール』『ジョジョ』に関しては許容範囲内である。
 “?”があるのは、『寄生獣』の方だ。『寄生獣』はアフタヌーンで連載していた漫画で、人間に寄生する動物と、寄生されかかりながら共生することになった主人公との対決を描いている。『H×H』並にちょっとしたキャラも容赦なく死ぬ緊迫感と、独特のアクションシーンが見モノである。
 戸愚呂(兄)はまんま寄生獣だし、鴉の技のデザインもそれっぽい。それと何より、蔵馬(南野秀一)の幼少時のエピソードが、『寄生獣』泉新一の幼少時のエピソードとまんま一緒なのだ。エピソードままならず、構図にも似た点が多く見られる。詳しくはこれってパクリ?さんを参考にして下さい(其の六 岩明均vs冨樫義博) 

 新一→秀一という名前の類似や、冨樫氏がアフタヌーンを愛読していると明言していることから、パロディやオマージュと見ることも出来るが・・・・・・・どうせなら、もっと分かりやすくやるべきだったと。正太とジロの話もまんま『ドラえもん』だが、サブキャラも似せているので不快感は薄い。マイナーなものを「どうせバレないだろう」と拝借しているのだったら、やはりパクリ作家と呼ばれてしまうのも仕方ない。

 『H×H』ではビスケット・オリバのパロや、『AKIRA』のパロなど・・・・・パロにするには分かりにくいパロをお遊びでやってのける冨樫氏である。これらも全部お遊びなのかも知れないが・・・・・・・・



 もちろん、最後の判断は貴方自身が行って下さい。
 私には判断の材料を提示することしか出来ませんので。


このページの文書・画像は集英社
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全て集英社及び冨樫義博氏にあります。



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